ああ

今夜も

赭音君が

吼えるのが

聞こえる


【朱の絆】

あれから一年、私は赭音君の子を無事出産した。
健康な、異形ではない男の子だった。

「暁」

御婆様の名付けに逆らって、私はそう、名付けた。
この子は、赭音君の子だから…父親と同じ韻の名を付けたかった。
里に戻ってきてあの声を、あの憎しみに満ちた瞳を目の当たりにする度に
私は痛感させられた。

私は、彼が好きだったから、彼にしか香を焚けなかったのだと。



「あの男は、一族の男としての責務を果たしておらぬ」

あれからどんなに束縛しようとも、一度足りとて赭音君は
他の女達を寄せ付けなくなっていた。
勿論、子を孕んだ女は、私以降…誰もいない。

「殺すしかあるまい」
「何、他にも千枝の人間の代わりはおる」

一族の会議で御婆様と女達がそう告げた時、
私の心は一瞬沸騰し、そして直ぐに凪いだ。

「お前ら、全員殺してやるからなぁッ!!」

彼の吼え声は、今も聞こえる。

コロシテヤル

その言葉が、一段と今の私の耳に届いた。



カチャリ…

その音で目を覚ました俺は、そこに俺の最も憎い茅野が立っていた。

「どうした?もう種付けの時期かよ?ええ?盛ったメス犬が。
それとも俺に殺される覚悟でもできたのか?」

いつもなら侮蔑の言葉に身を竦ませ、何か言いたげにしながらも
直ぐに去ってしまう茅野の目は何処か、虚ろだった。

いつもは薄紅の水干を着ているその姿は赤黒いそれに変わっていた。
そして胸に大事そうに、風呂敷を抱いて俺へと近づいてくる。

一歩、二歩、三歩。

どうしてやろうか、その細首を食いちぎってやろうか。
それとも不意をついて目を潰してやろうか。

そんな俺の思惑に全く気付いていないのか、茅野は目の前に立つ。
ふと、異様な匂いに気付く。
独特の鉄の匂い…自分がよく怪我をした時に少しだけ嗅いだ匂いだ。
それが。
茅野の全身から漂っている。
否。
茅野の水干から、今もそれが、滴っている。
さしもの俺もぞくりと背中を冷たいものが走ったのが判った。

「常盤木…?」

恐る恐る、問いかける。
茅野は俺の前に膝をついてしゃがみ込むと。
以前、俺が一瞬でも気を許したあの、笑顔を見せた。

「やっと…赭音君を自由にしてあげられる…今まで、ごめんね」
「どう言う、意味だよ…?!ふざけるな!!お前が俺を…」

怒鳴りつけられたのも今の茅野には通じないらしい。

「時間がないの。御婆様が里を離れるなんて、滅多にないから」

そう言うがはやいか、風呂敷包みを解く。
俺が家から連れ出された時の、あの服がきちんと畳まれているのが
目の端に映る。
そして血に汚れた手で鍵束を取り出すと俺の戒めに鍵を合わせていく。

「殺したの」
「なんだと?」

次の鍵を探しながら、ポツリと呟いた茅野の言葉に俺は呆気に取られて聞き返す。

「殺したの。里の皆を。氷輪も、女も男も異形ももう、御婆様と私しか、
 生きている者は居ないわ」

カチャ…という音と共に足枷が外された。

「御婆様には、私では適わないから…でも、他の皆になら勝てるから…殺したの」
「一体、どういう風の吹き回しだ?」

かちゃり…首の枷が外される。

「里の皆が殺すって、言ったから」
「…何?お前をか?それともお前とのクソガキを」
「赭音君を」

言葉をさえぎる様にして、茅野は言った。
かちゃり…腕を拘束していた枷も外される。

「はッ!!種馬として役に立たないからか?だったら、何故お前が俺を助ける?
 里の連中を皆殺しにして」
「こんな里、もっと早くに滅びちゃえば良かったのよ」

俺の悪態に顔を上げると淡々とそう告げる。
同感だったが、今になって弁解なぞ聞く気はなかった。
かちゃり・・・最後の、手の戒めが解かれる。
茅野を絞め殺そうと素早く腕をその首に伸ばそうとした瞬間。

「赭音君、危ない!!」

逆に俺の体が弾き飛ばされる。
そして同時に茅野の悲鳴が上がった。
一瞬、何が起こったのか、理解できなかった俺だったが
尋常ではない殺気に咄嗟に牢の入り口を見やる。

そこには茅野に俺を種馬として連れてくるように命じたと言う
御婆様、とやらが立っていた。

「やはり、やはり…この有様はお前の仕業か、茅野!!」
「う…ぅ…」

怒りに震えるババァに対して茅野は蹲ったまま、苦痛を堪えている。

「血迷うたか!千枝の人間など代わりに幾らでもおると…!」
「それ……でも!ぁ…赭音・・・くんは、一人しかいないもの…!!」

怒鳴り散らすババァに傷を押してまでも食って掛かる茅野。
その赤い瞳は闘気を失っていない獣のようにババァを睨み付ける。

「殺させたり・・・させるもの、ですか…絶対、に…!!」
「裏切り者めが…!!だが、これを見てもそう言えるかの?」

憎憎しげな笑みを浮かべてババァは両手に持っていたものを
茅野に見せ付ける様に突き出した。
その途端に、茅野の顔が蒼白に染まる。

「暁・・・!!」

暁と呼ばれたそれは、一才位の幼い赤ん坊だった。
青い、髪。青い、瞳。
いつか、両親に見せられた俺の赤ん坊の頃の写真にそっくりなそれ。
事態の異常に気付いたのか、ほぎゃあ、ほぎゃあと母に助けを求めるが如くに泣いている。
まさか、あれは…俺の?

「ふん、千枝の人間の所へ里子に出して
 千枝の人間のように血を交えて生きさせたかった、だと?
 痴れ者めが。我が常盤木の誇りを見失いよって!!」
「人間を、ただ…!」
「血を存続させる為だけの道具にしてるてめえらよか、よほどマシじゃねえか!!」

言葉を紡ぐのがやっとな茅野の言葉を代弁する気はなかった。
ただ、腹の底から怒りがこみ上げてきていたのだ。
俺にとって許しがたい存在であっても、
茅野は自分の過ちに自分自身でケリを付けようとした。

「精々吼えるが良いわ。お前はもう用無しなのじゃからな。
 十年立てば暁も子孫を残す為に使える」
「残念だったな、ババァ!里にはもう女はいねえんだよ!」

そう、茅野が全て殺したから。俺の悪態をババァは鼻で笑った。

「何を言っておる。茅野がまだ、残っておるではないか」
「な…てめえ・・・!!どこまで狂ってやがる?!」

まさか、そんな事を考えていたとは思わなかった茅野と俺は同時に目を見開く。

「常盤木の血を絶やさぬためじゃ。それに茅野も自業自得じゃ」
「ふ、ふざけんじゃねえぞ!!」

道具にされていたのは、自分だけではなかったのだと改めて認識させられる。
否。
本当は茅野が、一番の被害者なのかもしれなかった。

「そろそろ、その小五月蝿い口を塞いでくれようかの、小僧」
「御婆様!やめて!赭音君を殺さないで!!」

風の力がババァの周りに充満していく。
先ほど茅野が食らったのはこの風の力によるカマイタチなのだろう。
おぼつかない足で必死に俺を庇おうと俺の前に立ち塞がる茅野。

何故、そこまでしてお前は俺を庇おうとする?
俺に対する罪悪感か?
それともあの赤ん坊の父親が俺だからか?

俺は本気でお前を殺す気だったのに。

「いい加減駄々を捏ねるのは・・・がはッ!??」

突然の悲鳴。
ババァの胸元から剣が露出し大量の血液が飛び散った。
明らかに即死だと判るその胸元から、肩で息をする、
瀕死の女がひょいと赤ん坊を取り上げた。

「ひょ・・・・うりん・・・どう、して・・・?」
「こ、これ以上…姫様を苦しめること、は…私、が・・・」

どうっと音を立てて倒れたババァの背後に立った女は
よろよろと茅野に近づくと赤ん坊を愛しげに渡して、微笑む。

姫様・・・どうか、お幸せ・・・・・・に・・・

「姫様・・・どうか、お幸せ・・・・・・に・・・」

そう、言って微笑むとふつりと、糸が切れたように倒れた。

「ひょ、氷輪!氷輪!?」

慌てた様子で空いた片手で氷輪と呼ばれた女を揺さぶるも、もはや
素人目の俺にも、奴が事切れている事がわかった。

「ご…ごめ、ごめん、ね・・・氷輪・・・・う、うぅ・・・っ」

嗚咽を漏らす茅野。
そうだ。
こいつは、俺を助ける為だけに、
生まれ育った里の親しい人間を手にかけなくてはならなかったのだ。
何故、そこまで…否。
愚問だった。
こいつは、本当はあの時も俺を選んでいて。
でも俺がいつもいつもそっけなくこいつに接してしかやらなかったから。

だから、「好きでもない相手」と言ったのだと。
本当は「好きになっても貰えない相手」と言いたかったのだと。
漸く俺にも理解できた。

その場にへたれこんですすり泣く茅野の肩に恐る恐る手を載せる。
ビクリ、とその小さい肩が震えた。

「あ…赭音、くん・・・も、ごめ、んね・・・・・」

俺との赤ん坊を胸に抱いて俯いたまま、必死に言葉を紡ごうとする。
指先で涙を拭うと、よろよろと立ち上がった。

「赭音君…歩け、る…?赭音くんの家に、連絡してある場所まで案内、するから…」

俺を庇って、大怪我をしてるというのに。
その姿がいじらしく思えた。

「ばぁか。そんな傷でかよ。お前と一緒にすんな、俺は鍛え方が違うんだぜ」

そう悪態をつくと俺は立ち上がる。
体を拘束されていても俺は考え付く限りのトレーニングは欠かさなかった。
それがこんな形で役に立つなんてな、と思いながら
さっき、茅野が運んできた俺の服に着替える。
それはまだ、新品の匂いがした。
こいつ、わざわざ同じものを探してきてたのか?
・・・・・・ったくお人好しにも程があるぜ。

「この程度の傷くらい・・・治せるだろ?『力』で」

俺が茅野を振り返ってそう言うと茅野は赤ん坊を抱いたまま小さく頭を振った。

「私は・・・この里の最後の生き残りだもの。
 私が居なくならなきゃ、この里はなくならない・・・・ だけど、この子は・・・・助けて欲しいの」
「・・・・お前、死ぬ気か?」

小さく頷くその顔を俺は思いっきりつねってやった。

「い、痛いッ!!」
「この、馬鹿ッ!!いいか、お前俺の子供を無理矢理産んだんだぞ!責任取れ!」

涙に潤む目で訳が判らないと言う表情をする茅野に俺は焦った。
畜生。
全然言葉が見つからねえ。
くそッ!だから女は面倒で嫌いなんだよ!



そう心の中で悪態をつくと俺は茅野の体を徐に横抱きに抱きかかえた。
勿論、俺の息子もセットで、だ。

「きゃっ・・・!え?!な、何・・・?!」
「いーか、よく聞けよ。この里は俺の『力』でぶっ潰す。だけどな。
 お、お前にはその、俺の一年間を無駄に過ごさせた責任があんだろ?!
 だからその償いに俺の、その・・・・・・・・俺の嫁になれ!
 子供までいんだから、嫌とはいわせねーからな!」

我ながら自分でも頭を抱えたくなる位ワケわかんねえ理屈だと思ったが
反論をさせない為に俺は乱暴に茅野に口付けた。

<終わり>


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「暁月夜」をプレイして下さったうにゆにさんからいただいた、SSです。
あの救いのない陵辱EDに、こんな素敵な後日談を作ってくださって
ありがとうございます!
私自身も救われた気分になれました(^^ノ


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